存在しているのに見えないなにかを見つけると新しいヒントが見えてきます


私たちは見えるものと
見えないものが存在します

見えないモノとは
何もない存在のモノではなく
存在しているのに見えないモノです

そんな事はない!

と思われそうですが
年を重ねるごとに
意外と増えているものです

見えないもを意識して見てみると
新しい何かが見えてきます

その新しいものがヒントや
何かの新しい思考の
キッカケになったりします

見えないものとは

私たちの周りには
存在しているのに
見えないものがあります

見えないものを意識して
見てみると何か新しい発見や
新しいヒントが見つかります

存在しているのに
見えないものとはなんでしょう!

不思議ですよね!

世の中には存在しているのに
実は見えてないものが存在します

そう聞くと
お化けとかの心霊現象や宇宙人とか
または妖精とか?

確かに
その存在もあるのかもしれませんね
今回はあえて自分が
存在が分からないので
否定はしないでおきます

その否定が見えるものを
見えなくする原因
にもなりますから

実は今回私が伝えたい
見えないものとは
自分の勝手な思い込みや
間違った解釈で
消えてしまっているものです

存在するのに見えないのか


この世の中には
存在しているのに見えないものは
たくさんあります

そして、それは年をとるにつれて
どんどん増えていきます

それは”思い込み”です

人間は年を追うごとに
経験や体験によって経験値が増します

その経験値によって思い込みが
増えていくのです

思い込みのミスが増えるのも
それが原因の一つです

なぜなら経験値があるから
ある事柄の全体ではなく一部分を見て
物事を決めているからです


もしかしたら”知ったかぶり”
近いものかもしれません

動物園などに行って
自分が見たことのある動物なら
その一部をみた途端に
何の動物か分かります

例えば
灰色の長い鼻が見えたら
全体を見なくてもゾウと判断できます

首の長い動物ならキリンだとか判断ができます

その様な判断ができるのは
過去に自分にインプットされた情報が
あるから判断できるのです

とっさの判断は間違いもまねく


人は過去の経験や体験を通して
全体を見なくても
残りの見えない部分を想像力を働かせて
全体像をつかむことができます


それはスピーディーに効率よく
判断できるので
人間の持ついい能力です

でもね!

注意しないと
時として間違った判断をしてしまいます

街をあるいている人を見て
確かあの歩き方や服装は
彼に違いないと追いかけて見てみると
全く違う人だった経験はありませんか?

背格好や歩く仕草が似ていたら
普通はそうだと思いますよね!

でも間違った判断をしたのは
なぜでしょう?

それは”思い込み”で判断し
間違った答えを導き出した結果です

”思い込み”というフィルターを通して
見た結果見えなくなってしまっているのです


そんな事は他の事例も意外に多いのです

実は見ているようで見ていない
その結果が招いたものです


だから”見えないモノ”を見ると
意外と新しい発見につながります

それが何かのヒントやキッカケになるのです

赤ちゃんは見えているのに大人には見えない


私が見えないモノの存在に
気づいたのは
赤ちゃんを見ていた時です

赤ちゃんが何を見ているのかを
観察していると
いつまでも目線で
ずーっと何かを追いかけています

まさに何かの存在を
確かめるようにして全体像を
眺めています


最初は何か私も気づきませんでした

あれは目で見えているモノの全体像を捉えて
何かを把握するための行動です

そして全体像を見て把握できれば
次からは私たち大人のように
一部分を見て何かが判断できます

すると判断するのに
全体像までつかむことは
必要がなくなります

その行動は
古代の人間が野生動物から守る為に
一部分をみて何かを判断し瞬時に対応するという
本能や潜在能力なのかもしれません

確かに一部分で何かの見分けることが
出来ると、それにこしたことはありません

でも、その副産物として
思い込みや勘違いが生まれるのです

それが大人には見えないものです

見えないもを見ましょう


常にとは言わないですが
全体像を見てみるのも
新しい発見があります

このブログの記事を最初から読まれたかたは
もうお分かりだと思います

そうです勘違いや思い込みで判断するより
全体像が分かれば
把握できるものも変わります

自分が勝手に思い込みや想像で
決めてしまうから
よくあるだまし絵や
ビックリハウスの錯覚で
騙されたりします

でも全体像をみたり
思い込みで判断しなければ
間違った解釈もおこりません

真実を見つめて判断しているからです

そんな風味思い込みを無くすには
見えないモノを見る癖をつけるのも
一つ方法です

見えないなにかを意識する

見えないモノを見つけるには
意識改革が必要です

見えるか見えないかは意識に
大きく左右されます


見えないものの見える化には
古来からの風習を
取り入れてみるのも
ひとつの方法かもしれません

どの家庭にもお仏壇や神棚は
昔はありました

ご先祖様や守護霊さまなど
見えないものにご挨拶し
日頃の感謝を示すのは
ごく当たり前のことでした

考えてみればこれはすごいことです

存在するかどうかわからないし
自分に対してどんな影響力があるかも
分からない存在です

目で見ることのできないモノに
毎日、朝晩ご挨拶をして
感謝を捧げていたのですからね

現代に残っているのは
新年に神社参拝して
一年の祈願をすることくらいですかね


存在しているのに見えないものが
見えるようになると
自分にとって必要な情報が増えます


その為には、ちょっとでも
見える化をはかるべきです

その様な事をするかというと
生活の中で見落としていたものに
気づく訓練です

例えば待ち中で困っている人に人に対して
手を差し伸べてみることです

道に迷っている人がいたら
教えてあげたり
お年寄りや妊婦さんなどが
重いものを持っているときは
行き先が同じなら持ってあげるとかです

意外に実は目で見ている(見えている)のに
見て見ぬふりをしてませんか?

”見て見ぬふり”を失くすことでも
見えるものが見えてきます


スポーツの強い強豪校では
練習もさながら
学校の周りのゴミ拾いや
グランドの小石拾いを練習に
取り入れている学校もあります

ゴミ拾いなどは
本当に意識して始めてみると
たくさんのゴミが落ちていることに
気づきます

それが”あるのに見えてない”ものの
見える化につながります

試合などでは
ちょっとした相手のスキが
勝負を左右する事にもつながります
自分たちのミスなども同じです

それが見えると
相手のそこをついたり
自分たちの修正もできます

この”存在するのに見えないモノの
見える化”は
すごくメリットのあるものです

知っているの強み


知っているのと知らないのでは
大きな差がでます

しかも存在しているものなら尚更です

ある人には見えて
ある人には見えない

つまり

そんな存在に気づくか
気づかないかです

私たちは存在するのに見えないものが
多く存在します

その見えないものを見えるようにするには
意識改革や視点を変えたり
いろんな方法があります

でも一番大切なことは
存在しているのに見えないものが
あることに気づくことです

少し意識して探してみませんか?

何か発見するごとに
自分の情報がバージョンアップされて
必ず何かの役に立ちはじめます

運気アドバイザー 杏花(きょうか)