すべての物事を判断する場合にラインを引いてしまうから苦しくなるのです!

何かの判断する場合には
基準が必要です

ケースによっては判断基準をつくり
明確にどちらかに分けて判断するものです

でも場合によっては
分別するとしても境目に
はっきりとした線を引いて
判断するのではなく
曖昧さを残しておく方が
いい場合もあります

判断基準の”区別する”とは

ものごとを判断する基準に
”区別(分類)”というものがあります

”区別”とは”どちらかに分ける”という事です

区別(分別)はゴミの分別回収などが
身近で分かり易いですよね

『燃えるもの』と『燃えないもの』や
『空き缶・ガラスビン類』などに分けるものです

でもゴミの分別でさえ悩むモノがあるのに
私たちの周りには区別しにくい
区別が本来できるものと
出来ないものがあります

例えば学生時代の通知票などです

学生時代には通知票にて
小学校時代は1から5段階で
大学生時代は『A・B・C』で
区分されましたが

本来は『A・B・C』で
区分するのは、おかしいものです

なぜなら『Aの下』の人と
『Bの上』の人との差は
紙一重の差でしかありません

たまたま成績の区分の人数や
比率が決まってるから
『A』と『B』なのかは
仕方なく区別するものです

はっきり区別されないモノ

はっきりとボーダーラインを引いて
どちらかに区別が出来るものと
出来ないものがあります

人の評価については
基準がありません
ある能力が低くても
別の能力でリカバリーして
補うこともできます

人の評価は
長所も短所も含めた総合的なもので
判断されます

詳細に個々の能力を分類した評価で
判断されるものではありません

なぜ評価基準をつくるのか


では何故区分されなければならないものを
何故区分するのでしょう

人間は、その能力の区分が
自己の能力を延ばす目的で使われるのであれば
基準は必要です
あくまでも自分の現状認識と
自分の目標を設定するためです

成績票や通知票の区別はその為です

そんな基準で区別するのであれば
問題がなのかもしれませんが
違う目的で使用されるもので
あれば差別になる場合もあります

間違った区別の仕方

場合によっては区別できないもの
判断基準が明確でないモノもあります

それは企業でも問題視される
パワハラやセクハラの問題です

同じ行為をしていても、Aさんなら問題ないが
Bさんから受けると
パワハラやセクハラになるという
基準が明確にないものです

人によって判断が異なり基準が曖昧なものは
ボーダーラインを引かない方がいい場合もあります

ひと昔前に”ファジー”という曖昧さという
判断基準が重視された時がありました
電化製品などにも取り入れられた時代です

今では、その物が現存しません
周りの大半の方が支持しなかった事が
原因なのかもしれませんが
もうすこし”ファジー”的な部分が
存在してもいいのではないでしょうか


『三丁目の夕日』という映画がありました
舞台となる昭和の良き時代が背景です

その映画を観て思ったのですが
『ファジー』という言葉は当時は
ありませんでしたが
日常で微妙な(曖昧な)部分が
生活の中で存在し
無意識の内に関係ある相互関係のなかで
使われ上手い具合にお互いがバランスを
とっていた感覚を覚えました

今の時代は何事もドライに判断される時代です
これからはAIの発達やコンピュターの時代です

そんな時代においては
コンピュータの電算システムが数字の
”1か0” ”白と黒”といった価値観で判断されます

でも曖昧さという基準も
時と場合によっては必要なものかもしれません

曖昧と適当という塩梅を楽しむ

”塩梅(あんばい)”という言葉があります
お料理の味加減などで使われますよね

よく調理してなにかを作るときの
塩加減などは
お料理のレシピ本や動画などでは
”小さじ1/2”とか”少々”とかで
紹介されてます

でも味覚は人により異なります
場合によっては減塩食を好む方もおられます

だからレシピ通りではなく
自分に合ったものに調整しますよね

それが”いい塩梅(あんばい)”の基準です

この食べ物の味覚のように
判断基準も場合によっては
自分に合った”いい塩梅(あんばい)”
効果をもたら場合もあります

”いい塩梅”でいい

自分に合った”いい塩梅(あんばい)”とは
あくまでも自分自身のもつ基準です

だから判断基準が
曖昧で適当で
いい加減でもいいのです

それは個々の持つ基準です

何事も判断する場合には
ボーダーラインを引きたがります
なぜなら基準としてあれば
明確判断できるからです

どちらかの判断をする場合には
仕方がありませんが
場合によっては判断できない場合もあります

その時に人はギャップと遭遇し
苦しくなる場合もあります
それは白黒ハッキリと
つけないといけないと思い込みからです

場合によっては
曖昧なとき
適当なとき
いい加減なとき
でもいい場合もあります

選択には判断能力も必要

判断基準には明確に
できない場合もあります

何でもかんでも
区分できないものもあります

そんな時は”どちらでもない”の基準を
持っておく事です

”どちらでもない”の分類は
いろんな意味をもつ区分です

”今は判断できないから保留”というものです

選択や判断の先送りですね
この先送りや保留という判断を
持っていないと
選択をした時点で先に
必要なものであっても場合によっては
不必要なモノに分類される場合があります

よくショップで服やバックなどを見ているときに
買うか買わないのかの判断の時に
”どうしょう?”と悩む時がありますよね

そんな時に値札と睨(にら)めっこして
バーゲンになったら買おうと
とりあえず今日は保留と
判断をすることありますよね

その感覚が”どちらでもない”の感覚です

すると判断の場を先に延ばせるのです


でもね判断基準に
この”どちらでもない”の判断基準を
持たない人が意外に多いのです

だから判断基準に当てはまらないモノを
分別をつけるのに
ギャップを感じストレスが溜まり苦しむのです

”どちらでもない”の基準をもっておくのも
いいものです

判断の選択肢をもう一つ持っておく

何かの判断や選択には
なんでもかんでも曖昧ではいけません

適当ではいけない
いい加減ではいけない

曖昧のほうがいいという判断
適当なほうがスムーズに進むという判断

いい加減な感じのほうが
次につながるという判断

問題なのはなにも考えずに
曖昧や適当やいい加減になることです

最初から次を考えた
曖昧さや適当さや
いい加減さを持つことも大事です

運気アドバイザー 杏花(きょうか